筑波時代の私の一日」     有田和正先生

第3回有田先生と勉強する会  1997年(H9年)1月5日(日) 

                               寒河江市民文化センター

1.テーマについて        

 おはようございます。本当に正月松の内があけないうちから平成9年度第1回目の研究会。私にとっても第1回目の研究会です。寒い中お集りいただいた先生方にまず敬意を表したいと思います。
 フランスなんかでは,夏の,日本でいきますと8月15日前後の,お盆の一週間前後は,「すり」でさえバカンスに出かけるというんですね。ですから,フランスに行くなら,8月10日から8月20日くらいだと安全です。「すり」がいないということですから。
 「すり」でさえバカンスに出かけるようなこの時期に,このように勉強しに来ていらっしゃるということは,「すり」以下ということになるわけですね。それだけ熱心といいいますか,感動しております。
 私も,今年で61歳になります。小学校にいったら,3月にはもうだいたい終わっている。9月に学生が,ゼミの学生が5人いるのですが,
「先生幾つになったんですか,確かこの頃誕生日ですよね。」
というものですから,
「61になったよ。」
といったら,
「へー,先生61になったんですか。でも,とても61に見えません。若々しいですよ。」
というので,自分でも若いつもりでいますから,
「そ,じゃ,幾つぐらいに見えますか。」
と聞くと,じっと考えこんで
「そうですね,せいぜい60くらいですね。」
と言うんです。
 今日はですね,林先生からいただいたテーマが,「附属(筑波)小にいたときのある1日」の朝から夕方まで,朝起きてから夜寝るまで,どういう生活をしたか述べよ。というので,大変です。
 冬休みになってから,多くの記録の中から,大学ノートが学期2冊ずつくらいあるんですが。行事といいますか日程といいますか,それで1冊作ってありまして,それから実践記録みたいなものは,一番厚い大学ノートに一冊。
 ですから8月がぬけて,11冊くらいが1年分の記録ということで,それを段ボールに入れて整理しているんです。
  16年間を見てみようと思ったんですが,ひっぱりだすだけで大変で,結局,時間的ことも考えて手前にある一番新しいもの一束だけだしましてやめにしました。調べるのが大変です。「教師の実力とはなにか」という本を,去年書いたんですね。
 小学校の教師になってこれまで一番使ったもの,小学校の教師になって34年なんですが,一番使ったものは何かって聞かれたことがあるんです。
 それでそれこそ,34年分の記録を出そうとしたんですが,まず九州時代のはまずだめでして,筑波時代の16年分は一通り見たんです,昨年の冬に。1年分11冊位ずつありますが,それを見ていて一番びっくりしたのは,私が一番多くつかった言葉が『がんばれ』という言葉だったことです。愕然としました。各所に書いてありました。
 例えば「○○にがんばれと言った。」とかね。よく考えてみたら,がんばれという言葉の中身はなんにもないんですね。そういうなんにも中身のない言葉を,一番多く発していた自分というものが情けなくなりましたね。それで,私が『教師の実力とはなにか』という本の中に書いたのは,「どうやったらがんばれるか。」ということを教えるべきだと書いたんですね。


2.どんな力を育てるか
 先生方はどんな言葉をお使いでしょうか。最初にまずそれを申し上げておきたいと思います。今までの,私の34年間の教員生活で,だんだん自分の考えが鮮明になってきたのは,子供たちにどういうことを育てようと思っていたかというと,これは,やっぱり,これだったなあと,この冬休み,鮮明に思いました。
「桃太郎のような力」を,子供に育てようとしてきたんだなあということであります。なぜかといいますと,桃太郎は鬼退治に行きますよね。
 鬼退治に行くとき,「キジ」と「サル」と「イヌ」を連れて鬼退治にいきますよね。桃太郎が本当に強い人であるならば,こういう家来を連れていく必要はないんじやないかと考えたんです。
 しかし私は,はたと気がついたんですね。桃太郎は,物語ではキジとかサルとかイヌとか連れていったことになっているけれども,実際は,「桃太郎一人の能力」を「キジ的能力」「サル的能力」「イヌ的能力」として,表したんじゃないかと。
  つまり,家来ではないんです。こういう能力を,持っているのが桃太郎だということなんです。
 どういう能力かと言いますと,キジは,空を飛んで情報収集能力。情報をいかに収集するかという能力。情報収集ですから,どこに鬼が何匹いて,どういう武器を持っているかなどですね。今(ペルーの)日本大使館で,ゲリラが14人くらい武器を持って,人質をとっていますが,あのゲリラもどの部屋に何人いて,どんな武器をもっているのかというように,「人数」とか「配置」とか「武器」とか,そして総合的な「戦力」はどれだけなのか,などの情報を収集する能力。つまり「調べる力」。それを表しているのが「キジ」なんです。 
 というふうに考えたら,じゃ,サルはなんだ。サルは猿知恵というように,この情報を集めたものを使って考える。そして,作戦をねる。情報をもとにして,人数とか武器とかを分析して,どうやって攻めたらいいかという作戦を考える。つまり,一口で言えば,これは「じっくりと考える力」を表している。
 そして,イヌはなんだといいますと,サルがじっくり考えた作戦を勇気をもって実行する。「実行力・実践力」。こうい能力を表しているわけです。
 「調べる力」「考える力」「実行力」。これは言うならば「生きる力」です。新しく中教審によれば「生きる力」です。生きる力というのは,私の言葉で言えば,一番の根源は何かというと,学習技能です。
 その学習技能は何かというと,(「調べる力」「考える力」「実行力」)です。こういう学習技能を備えていれば,それは生きる力があると考えています。
 じゃ,鬼退治にいく「鬼」とは何か。これは,一番肝心で,私がもっとも力を入れているはてな。桃太郎は,こういう(「キジ」「サル」「イヌ」)家来を連れて鬼退治に行きました。ということは桃太郎は,「鬼」というイメージを鮮明に意識している。相手がはっきりしていないのに情報の集めようがありません。
 何の情報を集めるのか。例えば,サクランボなら,サクランボと意識していなければ,情報の集めようがない。サクランボを作るのに,リンゴの情報を集めたって仕方ないでしょ。
 ということで,桃太郎には「鬼」という意識が鮮明にあった。ですから,この問題意識をもって,こういう能力を発揮した。桃太郎の鬼退治というのは,実は「はてな」発見力と,「はてな?」をもとにして,こういう力を駆使して解決をしていくことを表している。というように考えています。
 「生きる力」という言葉をこういうふうに説明すると,分かりやすいんじゃないかなと考えて,まず話させていただきました。


3.筑波大付属小時代の1日
(1)出勤前にすること
 それでいよいよ,私の筑波の一日でございます。最後の年,5年前でございますが,1年生をもっておりました。そのときがいいかなあと思いまして,そのときのことを申し上げたいと思いますが,私のごく平凡な一日であります。
 朝,起床は6時。年間通しまして,日曜日は12時になってました(笑い)。ほとんど普通の日は6時。日曜日は12時に起きて,朝昼共通の,2回分1回で食事しました。
  食べているうちに,また眠くなりまして,1時くらいにまた寝まして,3時くらいにまた起きまして,それから夕方まで仕事をするんです。歳をとりましたら,寝る能力が衰えますね。私,「寝るのも能力である」ということを,初めて気が付きました。だんだん,寝られなくなるんですね,歳をとると。
 それでお年寄りは,早起きになるといいますが,野口先生なんか,朝4時に起きるっていうんですよ。僕より,もっと年寄りなのか。そのかわり,夜9時には寝ているんですね。すごいですね。とにかく,私は朝は弱い。
 けれども,筑波の16年間は,いつも朝6時に起きました。そして,だいたい新聞2種類読みながら,テレビを見ます。顔を洗いながら,テレビのスイッチを入れます。それで,テレビ見ながら,歯磨きしながら,新聞くるくる読みながら,さらに食事します。ほんとに,食べているかどうか分からないような食事をとりながら,新聞やテレビを見るんですが,何を探しているかというと,そのとき,3つ書いてありました。一つは,今日のニュースが何かということです。
 それから,私は16年間ほとんど毎日,子供に「笑い話」をしました。まず,しなかった日のほうが少なかったと思います。しなかった日もあるようですが,ノートには毎日記録が残っております。「笑い話のネタ」「ニュース」「教材」になるものはないか,という3つの目で,ニュース・新聞を見ているのです。
 ニュースはないか,本当のニュースになるものはないか,「笑い話」のネタはないか,それから教材になるようなものはないかという見方でみていたことが分かります。


(2)通勤中にすること
 そして,6時40分になったら,家を出ています。そして,電車に乗ってから1時間。学校につくのは,7時40分ですが,その間に本を1冊読む。必ず読む。
 ですから,今もそうですが,ずっとショルダーバックで通しました。今大学に行くようになってからは,大きなショルダーバックで,全財産を持って動けるようなものを使ってますが,なぜショルダーバックを使うかというと,両手を使える。両手をあけておかないと,本を読んでいて線を引っ張ったりしますね,電車は揺れますから,座れないときは,片方,つり皮につかまらなきゃいけないですね。そういうときのために,カバンだと網棚なんかに置く。すると絶対忘れるんですね。もう,網棚にどれだけカバンを忘れたことか。もう,忘れたことさえ,忘れてしまいます。まあ,子供のこと言えないんですが,家にランドセル一式全部忘れて手ぶらでくる子供が多かった。これは「絶対有田先生の影響だ。」と子供たちがいっておりました。私は,筑波にいた16年間に,カバン3つなくしました。それはまあ,恥ずかしいから言わなかったんですが,網棚に置いて忘れた。もう出てこない。3つのうち,1こだけ出てきましたが,あと2つは出てきませんでした。中に金目のものが入っていたら出てこない。文書みたいなものやノートだけだったら,絶対出てきますね。それで,お金みたいなものをカバンに入れないというのがこつだと思います。とにかく,本を読みます。
 でも,気分が悪くて本が読めない,あるいは,適当な本がないときありますよね。でも,本当は,机の上にたくさん積んであるんです。カバンの中に3冊いれてあります。で,ちょっと時間があるときに読む本,それから時間が30分くらいまとまってあるときに読む本,それからじっくり1時間以上腰を据えて読む本。まあ,電車の中では一番目と二番目の本ですが。本を読まないときはどうするかというと,電車の中で,東京の電車はありがたいことに,みんな新聞を広げてくれるんです。ですから,見て回るのです。自分は手を使わないで,何種類もの新聞を読むことができるんです。ただ多少,動くのが大変ですが,朝が少し早い関係で,動けるんですね。
 日刊スポーツというのがあるでしょ。 日刊スポーツは,スポーツ紙の中で一番いいと思うんですが,一ヵ月に一回,金曜日に,他の日じゃだめですよ,金曜日だけ,いつになるか分からないですが,金曜日だけ日刊スポーツを買うんです。一ヵ月に一回だけすごくいいデータがでるんです。それは私は,偶然電車の中で見つけてね,他の人はみんな表を見てるのに,後ろを読んでいる人もいるんですね。そこをみたら,つい最近では,日本では人工衛星をいくつ打ち上げているか。世界には,いくつ人工衛星があるか。
 日本は,人工衛星の打ち上げが世界で3番目なんですね。今83個,日本は打ち上げています。一番は,2985のソ連。2番はアメリカで1301個。そして,日本は83個で3位なんです。そういうデータは日刊スポーツだけ出ます。ひと月に一回だけ日刊スポーツに載せてくれるんです。その後で私が見たのは,冷凍食品を今世界で最も食べているのはどこの国か。アメリカです。日本は10番目であります。それで,日本人は一年平均一人15キロ食べているんです。その15キロの冷凍食品でもっとも人気のあるのは何か。
 コロッケです。2番目はピラフです。かわってますね。そういうデータをそろえて出してくれるのが,日刊スポーツであります。野球で巨人が勝ったとかどうでもいいんです。そこを見るんです。今日もね,ホテルに日刊スポーツがありました。私は前からは読みませんよ。後ろから数えて2ページ目と3ページ目の2枚にわたって,そのデータが出るんです。それから,金曜日だけは,ずっと日刊スポーツを買っております。ほとんどあたりませんが,金曜日一ヵ月一回だけあたります。それを,電車の中で見つけたんです。そんなふうに,電車の中はいろんなもの見れるでしょ。
 愛知県に行きまして,愛知の人は電車の中で新聞を読んでいる人が少ない。それで,人の新聞を見るのは不可能ですね。見てても私が見てると,こう(別の方向を向く)するんですよね。東京の人は,こう開けてくれてね,おもしろいなもっと早くめくらんかなと思って,手出したことありましたが………。
 ほんとに,東京の人は開けて見せてくれますね。愛知の人はどういうわけか,第一新聞もっている人少ないですね。というようなことをやりながら,学校につくのが,7時40分であります。


(3)学校ではじめにすること
 ついたら,まずすることはなにか。それは,はてな帳を読むことです。これは,16年間一貫してやりました。毎日20分間。20分間で,40人のはてな帳を読む。
 今はある県の指導主事になりましたが,その先生から,本当にひどく言われたんです。
 研究会のときですが,研究会の朝もはてな帳をパッパッと読んで授業を始める前に,はてな帳の名前をよばれた子が読みます。
 そしたら,授業の後の協議会でその先生が,「先生は本当にあのはてな帳を読んで選び出したんですか。とても読んでいる気がしません。勘で読んでいるんでしょ。」というすごい質問をしてきました。で,見ないでどうしてあれがおもしろいと分かりますか。
 でも,「20分で,40人のはてな帳を読めるわけがない。」と言うんです。それは,修行のいることで,私は何十年間も子供の文章を読むことを訓練として課してきたんです。だから20分間で私は写真をとるような感じで読んでますよ。パッと,何が書いてあるか分かる。自分の子供たちならですよ。人の子供たちは分かりません。自分の子供たちなら,パッとみて分かる。そして,パッとみて,この辺がいいと印をつける。これはいい,残して後で見るわけです。そして,そういうときに気をつけていることは何かというと,やはり,教室の子供たちが順調に成長しているかどうかということです。私は,名前なんか見ません。字をみると,これが誰と分かるから。 
 今でも,手紙を読むとき,よく手紙がきますが,年賀状なんかきますね。1200枚くらい。子供からきた手紙は,文字をみただけで分かります。今でもですね。今,高校3年生になっている子供たちまで分かります。社会人になったとたん,字がかわって分からなくなるんですね。これは不思議ですね。変な字を書いたんじゃ,社会人として通用しないということでしょうか。高校3年生までは分かります。で,パッとみて,この子は誰々で,どのくらい成長しているかと見るんです。2番目は,おもしろいのないかなあと見ます。その場面は,期待以上のものはないかなあと常に見るんです。丁度今,話そうとしているのですが,はてな帳を読んでいましたら,ある男の子が入ってきまして,
「先生おはよう。」
と入ってきた。丁度,その声が,あれおかしいな。元気な声なんですよ,でもちょっとおかしいなあ。それで,読むのをやめて,子供のそばに行って,頭に手をあててみようとした。そしたら,
「ぼく元気だよ。」
というんですが,
「いいから,頭出してごらん。」
とやってみるとかすか熱い。彼を見ると元気ですね。お母さん慎重な人ですから,病気で出すはずないんですが,さわったらかすかに熱い感じ。「おはよう。」と言う声が,なんとなく元気がない。はりがない。それで私は,道具をいれさせて,すぐ保健室につれていって体温計ではかった。38度ありました。その38度あるというのを見つけたのは,「おはよう」という声を聞いて,その声で見分けたんです。それで私は保健室から家へすぐ電話をかけた。
「お母さん,ちょっと熱があるんですけど,たいしたことはないんですが,38度あるんですが。」
と言うと
「えっ,熱あるんですか。全然気がつきませんでした。」
と言って
「どうしましょう。」
と言うと
「やっぱりつれてかえりましょう。」
ということで,
「じゃ,保健室に寝かしておきましたから,迎えにきてください。」
と言って,私は
「保健室で寝てきなさいね。」
と言って,他の子供に彼のランドセルに荷物いれさせた。すばやくはてな帳見て,そして運動場に出た。おかあさんが来るまで1時間かかるので子供と遊んでいました。それで,1時間たったころ,そろそろおかあさん来るころだなあ,そのころは授業始まる頃ですが,おかあさんが来ました。そしたらおかあさん,開口一番
「先生,私は自分の子供を6年間育ててきて,子供が具合が悪いのはほとんど分かった。でも,けさは気がつかなかった。先生はどうしてうちの子に熱があるとみつけたんですか。」
そう聞いてきました。
「いや,実はおはようという声に,ちょっと張りがなかったんですよ。それで,ちょっと手でさわったら熱がある感じがしたので,念のため調べてみたんですよ。」
と言ったら,おかあさん,ものすごく喜んで,
「先生,うちの子の声の調子まで覚えているんですね。」
というんですが,その時はたまたま調子よく覚えていたわけで,覚えているわけではないんですが,なんとなくそんな気がしたんですね。それはなぜ,そういうことができるようになったかというと,私は子供とこんな遊びをやってきました,1年生と。ぼくは,目を閉じて,おはようと言って入ってくるようにしなさいって言ってぼくが当てる。あそびですよ。それでなぜかというと,子供があいさつをなかなかしません。朝のあいさつをなかなかしない。それで,先生が一人一人当てるから,教室に入ってくるとき大きな声でていねいにおはようっていってね。といって,あいさつの練習を兼ねまして,私はその声を聞いて当てるということをやっていたんです。それから,普段の遊びの中では子供たちがまあるく輪になってすわって,ぐるぐる回ってやるかごめかごめですね。それやって声を当てるという遊びですね。ぼくは遊びとしてやっていたんです。それ子供同士もそうなんですが,いつの間にか子供の声が耳に入っているんですね。
 それで,高校生なんかからも,この前Nという子から暮れに電話がかかってきた。
「もしもし。」
て言うんで,ぼくは
「Nだろ。」
と言ったら,
「先生まだわかるの。」
と言うんです。女の子の声は本当によく分かります。男の子の声は,声がわりでわかんなくなっちゃうんですね。だめなんですが,女の子は,特にかわいい子はわかるんです。
「もしもし。」
って言っただけで,わかるんです。まあ,そういうことがこの日ありました。
 それで,はてな帳を読んで,問題をはらんだもの,それとあとでこれは読んだ方がいいなあというものを,残しておきます。それと,次の授業で使えそうなのははずします。そういうものははずして,7時40分から8時までには読み終わしました。


(4)朝の活動ですること
 8時5分には運動場に出ています。筑波は,授業開始,朝の活動開始が8時10分です。私は,7時40分に学校に行きまして,8時5分には運動場にはほとんど出ています。そして,日課はですね,朝学校にきましたらせんしゅ園(公園みたいなところ)を一周すると500mくらいあるんですが,これを毎日2周回るんですね。1000mですね。子供にも回るように言っていましたが,私が回らないと子供も回らないんですよ。それで女の子なんかいやがる子いますから,そういう子の手をひいて2周するわけです。早い子は7時30分くらいからきてますから,来た子から走って,終わったら,ドッチボールをするんです。ドッヂボールは強かったですよ。365日毎日ドッヂボールするんですから。朝来た子からドッヂボールするんですから。ということで,子供と二回りしたあとドッヂボールを8時30分までやります。それこそ,汗をかきながらやります。で,雨が降った日は,体育館でやります。マラソンはできないわけですから,その分ドッヂボールの時間が長くなるわけですね。そういうことをやって,その20分間ないし25分間に,一人ずつ子供の調子を見るわけですね。ボールをあてながら。ある女の子は,絶対ドッヂボールがいやなんです。取るのも下手。投げるのも下手。そういう子供に,ボールをとって,渡して投げさせる。
 それから,ちょっとうまい子には,力一杯なげてやる。力一杯投げたボールを取るのを,この上もなく子供たちは楽しんでいるんです。先生のボールをとったら,ドッチボールのプロ。そう言われるのが楽しみでね。それで,一番早く学級の中でできたプロは,ドッチボールのプロであります。これはですね,もう6月に二・三人,O君なんかね,一年生でもう5,6年くらいの玉投げるんですよ。ぼくが胸で取ると,ウッというくらいの玉をなげるんです,1年生で。そのドッヂボールが強くなるために,スポーツ教室に行っているんですからね。一週間に2回,スポーツ教室にいって玉を投げているんです。彼の玉を取ると,胃袋が引っ込むくらい痛いんですが,手だけではとれないんです。まあ,そういうことをやるわけです。で,Aは調子がいいぞ,Bはちょっとおかしいぞ,というように調子をつかむんです。
 8時30分になると,チャイムがなります。授業は8時40分に始まるんですが,8時30分になりますと時計係がおりまして,(あと5分)という係がおります。あと5分の係は,1日中なにかありましたら,あと5分を知らせる係であります。そのあと5分の係は,ほとんど時計を読めない子供を任命しております。任命された子は,8時30分が分かりませんから,他の子に聞くわけですね。そして,時計の読み方を覚えていくわけです。読める子にするとそういうことにならないわけでしょ。
ですから読めない子を時計係にすることで読めるようにしていくわけです。その子が読めるようになったら,また読めない子を次に任命するわけです。そういうことで私は,時計の勉強は,算数ではやっていません。全部,あと5分係で覚えさせたんですね。
 それで,8時30分になると,あと5分係が
「先生,もう終わりだよ。」
って引っ張るんですね。
「じゃ,入ろう。」
ということで教室に入ります。   


(5)朝の教室ですること
 教室に入ってまずすることは「笑い話」であります。出席はもう分かっていますから,笑い話をします。そのための話がないときは,電車の中をうろうろして学校につくまでの1時間になんとか見つけていくわけですね。それでも見つからないときは,作り話をするわけです。
「先生の友達がいるんですが,その友達の家にどろぼうが入りましてね,たいへん困ったんですね。君たちの家で,どろぼうよけどうしてる。」
「とじまりしている。」
「かぎをいくつもかけてる。でも,いいかぎかってもそれかけるの忘れるんだよ。」
なんていろいろ教えてくれます。それで,先生の友達からどろぼうが入らないようにするには,どうしたらいいかって相談があった。
「シェパードのでかいやつ。番犬にかっらどうだ。」
といったら,それがよかろうということになりまして,今は犬も高いですが,その番犬を買った。で,あんなにでかい番犬かったからもうだいじょうぶだろうと思ったら,それが昨日そのおじさんにあったの。
「もうどろぼう入らないだろう。」
って言ったら,
「いや,入られたよ。」
って言うんです。
「なに,なにとられたの?」
って聞くと,
「うん,あの番犬とられたんだ。」   
 まあ,そういう話をするわけです。
「まぬけね。」って子供たちが言うんです。
 そういう話をした後で,今度ははてな帳を読む。それでこのはてな帳ですが,なかなかおもしろいじゃないですか。それで,はてな帳を読むときに必ず,コメントを言わせるのです。はてな帳に対して,子供たちにコメントを言わせるようにするんですね。おもしろいとか,おもしろくないとかね。お尋ねもさせますね。とにかく,コメントを子供たちにさせます。そのころになってはじめて,人数が多いなあと思ったら,参観の人が座っているんです。そうですね,年間どれくらい来たか分かりませんが,始業式ですよ,1年生の入学式ですよ,そして終業式,そんな日でも参観の人いましたね。研究会の前の日から,わざわざ東北からグループで,研究会の日にかけて来た人がいます。
「なぜ,前の日から来たのか。」と聞いたらね,「研究会の前の日に,研究会用にどういう準備をしているか見たいから。」言います。そういう人がいまして,私,頭にきまして雑誌に書きました。特別なことをやっていると思っているんですね。遠藤先生もいますけどね,附属というところは,昔紙一重ということをやったんですね。遠藤先生のところではやってました?山形はやってませんよね。
 昔ですね,私が入る頃,「紙一重」という言葉があったんです。紙一重とはなんぞや。もう,本当のぎりぎりで,あとちょっと聞いたら,パァーッと本時の内容が出てくるように教えているんです。なんかのところで先生が質問をすると,パァーと出てくるように教えておくんです。それで,すごいだろうと思わせるわけです。そういうやり方を昔,「紙一重」といったんです。附属にあったそうです。
 それで,その「紙一重」を知っている人が,「紙一重」をどういうふうに仕込むか,それを見に来たんです。ということで,研究会の前の日に,5,6人来てました。後半の10年間,参観の人が一人もいない日は,一日もありませんでした。16年間ですね,6年間はいない日も多少ありましたが,後半の10年間は,つまり,46の歳から56の歳まで毎日参観の人がいました。ですからいつ参観の人が来て,いつ帰ったか分からない参観の人が多かったです。連絡して,事前に何月何日に参観させていただけますかという人が少ないんですね。
 それで,私が終わりのころ,Iっていう副校長がいました。今は,筑波大の教授になっていますが,この先生が副校長になったときに,参観者が多すぎるということで,参観者を制限するって彼が勝手にやったんですね。それでも,来るわけですね。そしたら参観の人が「どうしたんですか,ものすごく厳しい。」というんです。それで職員会議で,みんなで副校長に,
「何するんですか,参観者を制限するためにあなたは附属に来たんですか。」
ってね。いい気になってやりましたけどね。
 そういうことで,I先生もかなり柔らかくなりまして,もと通り自由に参観できるようになりました。なぜそういうことがあったかというと,理由があります。いつ入ってきて,いつ出たか分からない。失礼ですよ。教室にいつ入ったか分からないうちに入ってきててですね,子供が座っているのにですね,子供の机の中見てですね,甚だしいのは,ロッカーを一個ずつあけているんです。子供のロッカーがどのように整理が行き届いているか見てるんです。本当に頭にくる先生が,かなりいました。授業を見ないで「ロッカーの中汚い。」なんていってるんです。まあ,そういう人もいるわけです。この日も参観の人が6人いました。いつの間にか座ってました。
 なぜかというと,私が教育したわけではないのですが,入口の方の子供が,お客様がくると,椅子をぱっと出して,「どうぞ。」とやるんです。係じゃないんですよ。お客がくると,椅子を出して座らせるという癖がついている。うろうろされると困るでしょう。それで,椅子を出して座らせるんです。さりげなく椅子を出して,「どうぞ。」って言うもんですから,こっちは気づかないんです。その日も6人ほどいました。ひょっとみたら,ああ今日も空き時間つぶして話をしなけりゃいかんなと思うわけです。


(6)授業開始
 そして,いよいよ授業開始であります。
 この日の授業は,まず国語であります。私は,国語というのは本当に布石が大事だと思うのであります。次の授業の布石になるように布石になるように考えてやっております。その一時間の授業そのものは,たいした授業ではないかもしれません。しかし,見る人がみれば,この授業が次にどう発展していくかなあと見ていただければ,多少発展しているんですね。
 この日のところは,あいさつを勉強する。1年生に「おはようございます。」と子供に言わせますね。教科書には,多少の文章がでています。どういうふうにいうのかな,頭さげないで言葉だけでいいかな,なんてやります。その中に,おはようが出てきて
「朝何時から何時までがおはようかな,何時になるとこんにちわかな。」
っていうので論争やりましたね。一番最初,
「おはよう。おはようございます。」
これはいったい何時ごろまでやるか。
 それから次は「こんにちわ」です。黒板に書きました。書いた途端に,子供たちが「はい」。なんだと聞くと
「先生,わが違います。」
「なんで違う。」というと「わじゃありません。」それで「なんだ。」というと「はです。」と言うんですね。「こんにちはです。」で,どっちが正しいんでしょう。「こんにちわ」というのは一つの言葉であります。「ちくわ」というのがそうであります。「ちくわ」というひとつの言葉には「わ」と書いてある。だから
「こんにちわと書いてあるのは正しいんだ。」
というと,先生が言うのは正しいんだと賛成する子供がいる。
「いや,先生おかしい。『こんにちは』を漢字でかくと『今日』+『は』だ。『今日』と『は』で成り立っているから,『わたし』+『は』だ。」
 これとこれのどっちが正しいのか論争をやりました。私は,1年生でこれだけ論争ができるかと思うくらい,言い合いました。どうしても結論がでない。それで,
「先生,こたえ教えて。」
って子供が聞いてきた。今までずっと教えてきていないんです。それで,
「先生も教えたいんだが,どっちが正しいか先生も分からないんだ。」
って言ったら,
「それで,教師が勤まるか。」
と言うんです。そういう軽蔑に耐えられるかが,これから大事だと思うんです。自信がない先生ほど,ちょっと何か言われるとカッとくるんですね。で,自信があると,子供が何言おうと泳がせておけるんです。その軽蔑に耐えられるのですが,このごろその軽蔑に耐えられない先生が多すぎるんじゃないかなあと思います。自尊心が強すぎるんでしょうか。「それで教師が勤まるか」と言われたんですが「それが勤まるんだよな。何十年もやってるわ。」といったら「それでよく給料もらえるわ。」と,言っていましたが。


(7)国語辞典について
 とにかく,分からないので「どうすればいい。」といったら「辞書ひけばいい。」私は1年生のうちから,50冊くらいの辞書,3種類くらいの辞書を学級においていますから。それは前の子供たちが使った残りです。残ったもの全部おいてますから。辞書をひいた。そしたら「ああ,辞書にでていません。」というと,「先生,違うの引いてみなさいよ。」というので,またひいてみるとそれにも出ていない。「これにも,出てないわ。」そしたら「へえ,おかしいな。」それで「わかりませんから,明日までに調べてきてお知らせします。」と言ったんですね。そういう終わり方であります。それが,「はてな」で終わる授業であります。毎時間そうなんで
す。そこで私がですよ「いいですか,『今日』+『は』でこれが正しいんです。」なんて言ったら,そこで,ジ・エンドですよ。私は,子供の軽蔑に耐えて,分かりませんと言って終わった。終わった途端に,子供がパッと後ろの本棚にいって辞書を引いている。10人もいるんですよ。ワイワイ,ガヤガヤいいながら辞書を引いていました。
 そうしたらですね,子供たちはちゃんと見つけました。
「先生『こんにちは』ちゃんと書いてあるよ。」
「えっ,先生引いたとき出てなくて,何で君たち引いたときは出るんだろう。」「先生は,老眼だよ,眼鏡かけろよ。」
ということで,子供たちは老眼で済ましてくれましたけれども,私は,
「すごいな,1年生で引けるのか。じゃ,家に辞書持っている人いるの。」
と聞くと,
「いるのとはなんですか!」っていうんで「すごいね,君のうちは金持ちじゃなくて,辞書持ちだね。」と言ったんですね。すごい,すごい家に辞書もってるなんてすごいとほめたんです。そしたら,翌日には全員買ってました。だけど,子供というのは,まあ,私はそういうふうに敏感な子供に育ててましたから,これはいいよと言われたら,たちまち買うというしつけね,例えば私の本がいいよといったら全員買うという。そういうしつけを子供にも,親にもしてましたから,翌日みんな持って来たんです,1年生でちゃんと引ける辞書持ってくるんですよね。私は,親に本当に感謝しましたね。
 本当に私のクラスのおかあさん方は,おとうさんはえらいか分からないけれども,おかあさんはえらい。私がちょっとほめただけで,全員辞書を揃えてくれる。私の教育方針通りじゃないですかってね。 私が辞書を引き始めたのは,筑波で最初にもったときですから,昭和54年かな。そのとき初めて1年生に辞書を使わせたんです。今はもうすごくいい辞書出てまして,7種類くらいありますね,1年生でも使える辞書。今,愛知教育大近くに,深谷圭助という先生がいるんですが,刈谷市の亀城小学校。その学校に2年間おじゃました。学び方教育研究会の全国大会の会場を引き受けるというんで,私が2年間おじゃました。足掛け3年です。
 その時,深谷圭助という若い先生の授業を見たんです。1年生のね。そしたら,ボーっとしてるんです,1年生がね。
「深谷先生,こんなボーッとした1年生じゃだめだよ。」って,気合い入れたんですね。「辞書くらいひけるのさがせよ。」と言ったんですね。そしたら,それから彼はがぜん発奮しましてね,今や辞書に凝り固まりまして,昨年度1年生,今年度もまた1年生,来年も1年生をもつと言っていますが,1年生の子供に辞書を引かせるのに没頭しているんです。それで,校長先生も私非常に親しくしているんですが,県の校長会長をしているんです。岩間先生といって超大物,100キロぐらいあるんですが,この校長先生に

「先生,深谷先生,もう1年,1年生もたして下さいよ。」
と言いましたら
「分かりました,何か予定がありますか。」
というので,
「今彼を育ててますから。」
と言ったらちゃんともたして下さった。そして,彼がどうするかと思ったら,彼はね,辞書をひいたらそこに付箋をつける。辞書の上の方に,引いたページに付箋をはらせるんです。そして,付箋に引いたことを書かせるんです。ですから,辞書を閉じても付箋が見えるでしょ。付箋の数をみると,何個言葉を引いたかわかるわけです。で,どんどんどんどん厚くなるわけです。途中で彼のクラスの授業を見に行ったんです。私は,
「これは辞書使いの本質にもとるよ。」
と言ったんです。そしたら彼は,
「先生,1年生というのは量が見えないと,辞書を引くことに生きがいを感じないんですよ。」
こう言ったんですよ。私はこのときにはっと教えられました。「あっそうだ。深谷先生すごいよ,それは。」と。子供たちにこれくらいの付箋を一冊渡したんです。それで,二つ目の付箋を渡そうとしたら,「嫌だ。」って。「先生の渡してくれた付箋じゃ嫌だ。」って。なぜかというと自分の好きな色を買いたいって,それまでは全部黄色です。今度は,赤や紫や自分の好きな色を買ってきて,2学期にはこれくらいの厚さだったのが,こんな(2倍くらい)です。ずっと厚くなって,しかもぼろぼろです。暇があったら辞書を引いている。それで私は,辞書を引くことは読書だということに気がつきました。辞書を引くこともですね,辞書を引くことは読書です。これを私は,深谷先生や子供たちに教えられたんです。そのとき私は知りませんでしたが,付箋を使うというのはたいへんおもしろい。それで,生活科授業研究,「生活科授業を楽しく」という明治図書の雑誌がありますが,そこに1年間彼に辞書の使い方ということで連載してもらうことになったんです。辞書のことだけ,1年かけて。樋口編集長が彼に書いてもらうことにしたんです。それだけ,おもしろい。
 それで,年賀状になんて書いてきたかといいますと,「最近子供らは,漢和辞典も使い始めました。画数を意識させ,書き順を自ら考えて書くということの,手立てののために働きかけた結果として,画数に興味を持つようになった。そして今は,なんと漢和辞典も使っている。それから,常用漢字1945字ある。それから,小学校で教わる漢字が1006あるということをみんな知っていた。びっくりしたのは,辞書からの活動の広がりは,とどまることをしりません。」と書いてある。そういう年賀状です。まだまだやってる。今までは国語辞典だったでしょ。それを今度は漢和辞典です。国語辞典から漢和辞典まで1年生に引かせている。そのきっかけは,これなんです。先生がこんな風に引いたらいいよと教えるんじゃなくて,教師がとぼけてですね,子供たちが辞典のおもしろさに気づくという,そういうことをやったわけですね。是非先生方,辞書に付箋をつけるというのをやってみて下さい。これはもう,小学校の5・6年生だって喜びますよ。これはおもしろいから。大学に深谷さん連れてきて発表してもらった。そうしたら,名古屋の附属の水野先生という方がいらして,すぐそれをまねした。話してもらったのが4月。それで6月の名古屋の研究会にいったんです。そしたら水野先生が,
「先生,ちょっと見て下さい。」
というのでみてみたら,そのクラス辞書にみんな付箋があった。ぶ厚い。2年生です。「どう?」と聞いたら,
「先生この付箋は効果ありますね。」
って,附属の先生なんてプライドが高くて,あんまり人まねはしないんですが,いいところはパッとまねするよさですね。「水野先生は柔軟でいいね,他の人たちはぜんぜんまねしない。でもあなたは,いいと思ったことをパッとまねできる。そのフランクさがすごいよ。」と言ったんです。プライドが許さないんですね,人のをまねすることを。そういうことでは,伸びないんじゃないかなあと思います。


(8)生活科の授業
 さて,1時間目はたったこれだけで終わり。「こんにちは。」ここで,1時間終わりです。そして,2時間目,3時間目は生活科でございます。
 この生活科の授業は,近くの公園へ虫をとりに行くという授業です。この公園へは春にも行く,夏にも行く。つまり,同じ場所に続けて行くというわけです。ところがですね,10月の終わりですから,虫が何にもいない。寂しいんです。今まであれだけいっぱいいたわけですから,「どこかにいる。探せー!。」と言って1時間探させたんです。
 でも,虫がいない。1匹もとれない。虫がとれないことを確かめに行ったわけですから,いるわけないんですよ。それまで,4月,5月,6月,7月,8月,9月と,毎月同じ場所に行ってるんですよね。それで,同じ場所にいないということを確かめて子供を連れていったんです。10月末ですから,コオロギもカタツムリもミミズもダンゴムシも全然見つかりません。そこで,「さて,どうして見つからないんでしょう。」という問題を子供たちに出したんです。「10月の終わりになると,どうして虫がいなくなるの?」という「はてな」を子供にもたせるために,4月からずっと9月まで同じ場所を見学に行くわけです。見学というよりも,子供は何か活動しているわけですが。それをずっとずっと続けるわけです。それで,10月に行ったらいない。1匹も虫がいない。4月からは虫がたんだん増えていって,9月終わりぐらいになるとになるとかなり減ってきている。そして,10月。「どうして10月の終わりになると虫がいなくなるの。」というはてなをもたせるために,私は4月から計画的にやってきているわけです。ですから「ああ,〇〇がいたなあ。」,「何月には〇〇がいたなあ。」ということを記録に残していく。そのときどきに残してきた記録が,ここ(10月終わり)で一気に生きるわけです。
 だから私は,生活科というものは,先生が計画的に「いつ,何をするか。」という年間の構想が頭にきちっとないと,うまくいかないんじゃないかなあという気がしている。私は,その当時そういうふうにやっていた。そこで,初めて「どうして虫が1匹もいなくなったんだろう。」というと,僕のねらい通りのはてなが出てきた。「さて,どうしてだろう。」と尋ねたところ,「死んだ。」,「落ち葉の下の奥のほうに隠れている。」というわけです。それから「土の中に?,どうしてかなあ。」と言うと,「それは,寒くなったから土の中で寝てるんだよ。葉っぱの下で寝てるんだよ。」と言う。そう言ってるうちに「だからねえ,虫にも命の限りがあるんだよ。」ということをポロっと言ったんですね。「えっ,今,なんて言った?。」と聞き返すと,「命に限りがあるんだよ。」と言うんですね。「命に限りがある。」ということをさっと辞書で引くわけですね。子供たちは「命の限り。」というのを辞書で引くんですが,辞書には出てないわけです。そこで,「命+限り。」と書くわけです。「限りとは何だ。」ということを調べて,「命がなくなることなんだなあ。」ということを子供たちは気づいていくわけです。まあ,そういう言葉まで出てくるとは予想していませんでしたけども。 
 話がとびますが,「年賀」という言葉の「賀」を漢和辞典で引いたことのある方,いらっしゃいませんか。年の初めに「年賀はがき」「謹賀新年」「賀正」というように,みんな「賀」が使われますね。なぜ「賀」が使われるのですか。これはおもしろいですよ。分かりやすく言うと「魂を元気づける」ということなんですね。「年賀」という場合は,年の始めにあたり「活力のなくなった魂に活力を与える」という意味があったんですね。だから,「謹賀新年」「年賀」「賀正」と言うんですね。やっぱり,辞書を引かないとなかなか分からないということがあるわけです。こんなふうに,子供たちに辞書を引いてもらって意味を確かめます。
 今のようなことをずっと授業でやっていくわけですが,3ケ月間研修に来た先生が,この頃の授業を記録に書いてくれているんです。これをちょっと読んでみます。私が説明するよりも分かりやすいので・・・。
 
『有田先生の授業を何度も参観させていただきましたが,1年生の授業をこんなに多く参観したのは,今回が初めてでした。見ること聞くこと,すべてが驚きの連続でした。生活科の時間のことでした。近くの公園へ出掛け,公園の様子を観察して教室に戻ってきてから,「夏から9月までの間にかけて見たたくさんのコオロギやカタツムリなどの虫たちが,最近少なくなってきました。一体,みんなどこへ行ったのでしょう。」と,先生が問いかけました。すると,「死んじゃった。」「落ち葉の下。」「土の中。」などと,子供たちが口々に言いました。「どうしてかなあ。」と先生が問いかけると,「寒くなったから土の中で寝ている。」,「落ち葉の下だよ。」,「いや,違うよ。寒くなったから死んじゃったんだよ。」と,子供たちは大騒ぎ。ここまでは,どこの学校の1年生でもよく見られる光景です。
 しかし,次が違いました。ある子供が「だからねえ,虫にも命の限りがあるということなんだよ。」と大きな声で発言しました。すると先生は,この変わった発言を逃さない。「えっ,命の何?」とわざと大きな声で問い返す。この問いで,ざわついていた子供たちが一瞬注目する。「命の限り。」と答えたものの,「命の限りって,なあに?」と,先生がもう一度問い返す。次の瞬間,4分の3の子供たちが一斉に席を立って動き出す。国語辞典を取りに行くのである。ある子は廊下のロッカーに,ある子は教室の後ろの本棚に,ある子はランドセルのほうへと動き出す。その姿は,さしずめ,記事を求めて駆け出す新聞記者のようである。辞書を使う1年生。席について辞典を開く子供は,ほんの一部。ほとんどの子供は,席に戻る前にもう開き始めている。辞典で調べながら,席へと向かう。「命の限り。」とつぶやきながら席へと向かう。「命の限りなんてないよ。」と答える子供。「命ならある。」と答える子供。先生は,黒板に「命+限り」と板書する。「なんだ,命と限りか。」とつぶやく子供たち。「あっ,あったあった!」と叫ぶ子供。確かに,国語辞典を引くのは遅くてたどたどしい。1年生だから,当然のことである。しかし,1年生が国語辞典を使って分からない言葉を調べるところがすごいではないか。 
 そのあと,「虫たちはどうなったか。」と先生が問いかける。「寒くなるにつれて,虫たちにも命の限りがあるもんだ。」「冬ごもりに入るものがいるらしい。」ということを感じとったところで,1人の子供のノートを紹介された。そのノートは,はてな帳というもので,学校や家庭で起こった出来事,生活の中から疑問に思ったこと,考えたこと,やってみて思ったことなどを日記風に書くノートである。その子供のノートには,「私のカタツムリの1週間。」と題して,カタツムリが食べたえさの曜日毎のメニュ ーが紹介されていた。「さあ,読むよ。手に鉛筆を持っているかな?」。ほとんどの子供が鉛筆を手にしている。その様子はまさしく新聞記者そのもののようである。「コメントを書くんだよ。」コメントとは,先生が読む友達のはてな帳を聞いて,思ったことをメモする作業である。「カタツムリは好き嫌いがないのかなあ。」「カタツムリを人みたいに書いているところがおもしろい。」,「1週間も調べたからえらいなあ。」などと自分なりの意見がノートに書かれて発表される。コメント作業を通して,聞くこと,考えること,書くことが同時に鍛えられていく。コメントを書く以外にも,はてな帳を読み聞かせたあとで,「今,いくつのメニューが書かれていたかな?」,「今読んだ中に,いくつの動物が出てきたかな?」などという問いを何度も繰り返していく。何となく聞くというのではなく,分析しながら聞く,考えながら聞くということを,毎日の授業の中で鍛えられているのである。「じゃあ,こんなふうに他のことを調べた人はいるかな?」と先生が問いかけると,2,3人の子供が発表した。「もっといないかなあ。」と先生が問いかけると,誰もいない。私なら,「なんだ,もういないのか。」といやみの 一つも言いそうなものだが,有田先生は違う。「じゃあ,これからこんなふうに調べてみようと思う人?」と問い返す。一斉に全員の手が挙がる。各自が調べてみたいことを発表し,「この次は,このようにやろうね。」と言って授業が終わる。』


 この先生は,3ケ月間ずっとついてて,このように授業の記録を書いておられたんですね。これが,まあ,2時間目,3時間目の授業なわけです。今,この先生が書いておられるように,国語の時間の中に桃太郎になるための「調べる,考える,作戦を練って実際に活動する力」というものを,国語の授業の中でもつけていくわけですね。だから,私は,一つの教科だけでその学年にふさわしい学習技能をつけていくというのは,難しいと思うんですね。自分が研究教科にしているものを中心にしながら,あらゆる場面で一貫した指導をしていくことが大切なんじゃないかなあと思うわけです。私は,今この先生が書いてくださっているようなことを意識しているわけではないんですが,無意識のうちに計画したことを自然にやっている,というわけです。


(9)国語の授業
 4時間目,また国語なんです。1年生,2年生というのは国語が多過ぎますね。前回の学習指導要領では国語が1時間増えましたが,国語が1時間増えたから学力がアップしたという報告は,1件もないですね。しかし,鍛え方によっては,1時間あるのとないのとではすごく違うんですね。私は,国語の中では音読というのをすごく重視してきたんですね。国語では,辞典を使うのも音読といっていいぐらいですね。もちろん書くことも大切ですが。子供の作文への評価レベルが低いと,子供のレベルはアップしないですね。ということは,教師がいい文章を読んでいないんですね。子供が成長するにつれて,自分の目線を上げられる教師になる,ということが大切ですね。1年生の4月に書いたはてな帳の文章から,3月頃までに書いた文章を丹念に読んでいただくと,自分のレベルを上げられるんですね。自分の目線を,評価のレベルを改革していくんです。そうしないと,子供のレベルは上がらないですよ。いつも子供のレベルが上で,先生のレベルが下で,すごいすごいではだめですよ。この秋,岡崎(附属小)で出しました本の中に,「ワーキングウーマン」という4年生の書いた文章があったんですね。
 「先生,これを見て下さいよ。」というふうに言われて,私が「これはすごいよ。」と言ったら,文部大臣賞になりましたよ。その先生は,これがすごいかどうかわからなかった。でも,「見て下さいよ。」と言われて見たら,「これはいい。」ということになったわけです。今度出した本の中の第一章のメインの部分に,この「ワーキングウーマン」という文章が出てるんですね。これがすごい文章なんですね。やっぱり,先生が「ここがまずい。」「ここをアップしろ。」というふうに刺激できたら,レベルは上がりますね。私はそういうふうに思います。
  そこで,4時間目に「花いっぱいになあれ」というところを勉強しました。4月からずうっと国語を勉強してきて,12月には音読のプロをつくるというのが,私の最初の計画でした。冬休みの前に音読のプロを何人かつくるということは,それまでに何をしなくてはならないかという考えでやっているわけです。その頃(10月頃),私がどんなことをやっていたかというと・・・。
 子供が音読をしますね。すると,私がこんなことを言うんですね。
「おっ,うまい。うまいけど食べられない。」
「うん,感じが出ている。」
「もうちょっと練習しなさい。」
ということを,私が言うんですよ。一段落ごとに形式段落ごとに子供に読ませていくんですね。どんどん読ませていって,読み終わって次の子供が読む瞬間に一言,私がコメントを言うんですね。
「点のところを続けて,てんで話にならん。」
「もうちょっとでプロ。」
「おしい。」
「うまい。うまいけどまだ食べられない。」
「速すぎる。新幹線なみだ。」
「うまい,プロ第1号。」
「うまい,お経読みのプロ。音読のプロではないよ。」
といようなことを,パッパッパッパッと言っていくんです。もう直感で言うんですね。それも,子供たちを傷つけるんじゃなくて,楽しめるように間に入れていくんですね。それを子供たちは非常に喜ぶ。こういうことを10月までにやっていたわけです。そのとき29人読ませたんですね。コメントの仕方を具体的に教師が示すわけですよ。そうしたら,29人の音読が終わった途端に3人の子供が手を挙げる。「何だ。」と言って聞きますと,今私が言ったコメントを3人とも全部メモしてるんです。おもしろいことに,その中の一人は友達の読み方の採点までしている。「8.1,9.5」というように小数点をつけているんです。
 それはなぜかというと,僕が前にそういうことをやっているんです。最初は,10点満点で8とか7とか言うんでが,そのうち,8.1とか9.5とか言うんですよ。それがまた喜ぶんですよ。8.9と9ではどちらが読み方が上かとか,0.1違ったらどれだけ読み方が違うか,と子供たちが言うんですよ。「8.6と8.7はどこが違うのか,先生言って。」と言うんですよ。そのときは苦しいですよね。違いはないんですから。そのときの気分で言ってますからね,たいへんですよ。点を切る間がちょっと違うとか,もっともらしく言うんですね。こういうことをやりますと,子供たちが評価やコメントを書くんですね。書いてるうちに,一生懸命な子供に「メモのプロ!」と言うわけですよ。そうすると他の子供たちがメモするようになる。音読をやり始めたら必ずメモするようになる。私が黙っていてもやるようになりますね。そうやって速く書く練習をしていくわけです。
 速く書くことは,4月からやっています。4月に検査したとき,一番のろい子は1分間に7字です。一番書いた子は,70字です。それが,どんどんけいこして,1年間の終わりには学級平均72字になりましたね。7字しか書けなかった子が,42字書いたんですね。それから,一番速く書いた子が140字。今,大学1年生で,10月の前期が終わったところで一度テストしました。そしたら,一番速い学生で120字。それで,2月にもう一度テストするって約束したんですよ。「君たちは,小学校1年生よりもまだのろいからね。小学校1年生は140字が最高だよ。学級平均が72字だからね。」って言ったんです。そういうテストをときどきやるんですよ。大学生でも気にして練習すると速くなります。そういうことを練習しておいて,12月に音読のプロをつくるわけです。


(10)おたよりノートを書く
 そして、10分ほど早く国語の授業を終わります。その時間に「おたよりノート」を書かせるわけですが,私は国語の時間におたよりノートを書かせていいと思いますね。この日のおたよりノートは,
┌──────────────────────────────────────────┐
│ 明日は,先生が福岡へ出張でございます。                                    │
│(1)静かに,自由に勉強するのでございます。することは、係りの子供に│
│ 言っておくのでございます。                                                 │
│(2)28日はほうや農園へさつまいも堀りに行くのである。集合場所池袋,│
│ 集合時刻9時,持っていくもの,さつまいもを入れる袋,弁当,水筒,リュ│
│ ック,運動靴。                                                                  │
│(3)雨ばかりでいもの出来具合が心配です。今回は他のクラスも行くので,│
│ 料理はしませんので弁当を持たせてくださいまし。                            │
│(4)もし雨で中止のときは,電話連絡をするのでござる。それで,心配は │
│ 無用でござる。弁当は雨が降っても必要でござるゆえ,準備を忘れない│
│ ようにしてください。                                                                              │
│(5)では,今日はこのへんで。28日までさらばじゃ。                         │
└───────────────────────────────────────────┘
 こういうことを,授業の終わりの10分間で黒板に書いて写させてきた。もうこの日は10月27日ですから,このときは口頭でございます。視写じゃなくて,聴写。今のようなことを,私が「①・・・。」というように言うんですね。スピードとしては,私が読み終わったときは,子供たちが書き終わったときですね。これを,なるべくおもしろくやるわけです。4月から10月中頃あたりまでは視写。10月後半からは聴写。聴写でぐっと速くなりますね。これで,書く力,聴く力を鍛えます。
 この日,午後は給食がありまして,なんとあまり好きでない給食が出まして,「大食いのプロ大活躍」と書いてあります。ですから,大食いのプロが,残ったものを全部平らげたということであります。それから,掃除。「掃除のプロ登場」と書いてあります。そして,掃除をしている最中から10月の保護者会。「参観の先生のお相手を30分くらいした」というふうに記録に書いてありますね。そして,午後の2時から4時半まで保護者会で,この日は授業参観がないんですね。話だけするという保護者会であります。


(11)保護者会ですること
 今,私は「1年担任の条件」というのを『教材開発』という雑誌に連載をしております。今までいろんなことを書きましたけれども,毎月反響があるのは今回が初めてです。それで「早くまとめろ。」と言うもんですから,3月までまとめて書き終えました。なぜ,「1年担任の条件」というものの反響が大きかったのか。1年担任というのは,2年から6年までの担任とは違うということなんです。それは,どこが一番違うかというと,1年担任は子供が「できない」「分からない」,わけのわからない子供がいるというのを楽しめる先生じゃないと,1年担任は勤まらないということなんです。普通我々は,優秀な子供で何でも知っている子供,よくできる子供が来ると喜ぶ習性がありますね。私も長いことやってるから,それは分かりますよ。
 でも,1年担任は,「分からない」「できない」「勉強がきらい」という子供がいないとつまらない,と思えるようでないと勤まらないと思います。それで,伺った学校の校長先生に「先生は,学級担任を決めるときに何年生を一番重視して決めていますか。」ということを尋ねるんです。その中で「1年生が大事だ。」という校長先生は,ほんと少し。たいていの校長先生は「6年生。」と言いますね。今,学校の保護者が学校に協力しなくなった原因は何だか分かりますか。今は,親が学校へ最も批判的な時期ですね。今までの歴史の中で。それはなぜだか分かりますか。1年担任がよくないからですよ。1年担任がですね,1年担任としての精力の6割は親対策に,4割は子供に使うんですよ。その6割で親を教育して,「あなたのお子さんを伸ばすためには,学校に協力しないと伸びないですよ。」という教育を,親にみっちりやるんです。それを校長先生は,いい先生を6年生に,そうでない先生を1年生になんてタイプ分けしてはいないでしょうけど,「親の教育のできる先生」が1年生の担任になってない。それで,私は「新採でもいい。」と言うんですよ。ただ,一人のときはまずい。筑波のときは4学級で,1学年に6人配属されるんですね。その6人で体制を組んで,保護者会のときは交代で親に文句を言う。親を教育するんですね。学年主任の先生がしっかりしていてね,その人が若い先生が言えないようなことをきっちり言う。その教育をする時期を誤ったんじゃないかと思うんです。だから,親が非協力的と言われるのは,1年担任を決めるときに校長が誤ったんじゃないか,それが連続してそうなったんじゃないか。というのは,私の誤った見方かもしれませんけども,私はそういう感じがしてならない。6年生の次に多いのが3年生。
 なぜ3年生なのか,私も分からない。私だったら,最も優秀な先生を1年生につける。一人ね。そして,学年体制でうまくやっていくということでございます。たとえばね,このときの保護者会で
「親が先生の悪口を言ったら,子供は育ちませんよ。」
というようなことを言ったんです。そのとき,どういう言い方をしたかというと,
「子供を育てたいならば,子供の前で担任の悪口を言わないことが大事です。」
というようなことを言っておくんですね。1年生の子供というのは,家であったことを全部教えてくれるんですよねえ。この前,こういうことがありましたよ。ある子供が,
「先生,うちのお母さんねえ,先生の悪口を言っていたよ。教えてあげようか。」
「うん,内緒で教えてくれよ。」
「僕が言ったとお母さんに言わないでね。」
「絶対言わないから。男の約束するから,教えてよ。」
と言ったら,
「『有田先生って,いつも一番大事なことを忘れる。』って言ってたよ。それで,『よくあれで先生が勤まるねえ。』って電話で言ってたよ。」
と言うんですね。
「あっ,そうか。よく教えてくれたね。ありがとう。家に帰ったらね,お母さんに『先生は今度から大事なことを忘れないからね,絶対忘れないように連絡するからね。』って言っておいてよ。」
「うん,言っておくよ。」
と言って別れたんです。そうすると,家に帰って子供は言いますよね。そういうことで,「身におぼえのある方が,この中にいらっしゃいます。」ということを親に言うわけです。親は困っちゃいますよね。こっちは名前がわかってるわけでしょ。それで,きついことを注意するときには,必ず「笑い話」でするんです。「困ります!」なんてきつく言ったらね,必ず今の親は反発しますよ。特に,筑波の親なんかはプライドが高いですからね。そんなことを言ったら,ガーンときますよ。私も大失敗したことがありますよ。「指導主事のようなまねはやめてください。」って,保護者会で言いました。私が新米で筑波に来たときですね。あるお母さんが,黙って教室の中に入ってきて,中をぐるっと回って,机の中を二つ三つ開いてですね。それから,廊下へ行って棚を開けて見てねえ。全く指導主事とすることが同じですね。そして,すうっと帰っちゃった。「さっきのあれは何だ。」って尋ねたら,
「あれは〇〇のお母さんだよ。」と言うわけ。
「生意気なお母さんだねえ。」って,そのとき言ったわけ。「そもそも,担任に断りもなしに自由に教室に入ってくるなんて言語道断!」と厳しい口調で九州弁で言ったもんですからね,たいへんでした。
 関係を修復するのに一年かかりましたから。そんなことを言わないほうがいい,とだんだん気がついてきましたから。今だったらですね,柔らかく冗談めかして言って笑わせておくんです。同学年が6人いますからね,その次の人が,
「有田先生はあんなことを言ってるけど,人の悪口を言うのは楽しいですよねえ。お互いに言いましょう。」
と言うんですね。それは作戦なんですね。そういう学年体制が大事なんですね。筑波にね,大越先生というのがいて,彼とは12年間同学年ですよ。16年いた中で12年ですから,彼とは兄弟みたいなもんですね。僕が何か親に質問されてぽんと答えると,彼は,
「そんなことを言っても,本人はできやしないですから。」
って言うんですよね。そして,私が,
「彼は酒癖の悪い男でねえ。飲むと全部忘れちゃいますから。」
なんていうことをペアになって言うんですよ。そういう学年体制が大切だと思うんですね。今,親に対する教育がちょっと足りないんじゃないかと思うわけです。私の場合は,学年のメンバーに恵まれました。毎月保護者会をやってきましたが,そういう調子で親の教育をしてきました。特に,1年生の場合なんかは,授業を見てもらって,感想を言ってもらいますね。そうやって,授業の見方を研究する。ですから,本当に親は協力をしてくれるようになりますね。


(12)授業終了後
 それが4時半に終わりまして,そのあと研究部会がありました。4時半から6時まで。それが終わってから,教科書の会議がありまして出掛けました。それが9時まで。そして,家に帰ったら22時。夜の10時。それから,11時半まで1時間半原稿を書きまして,風呂に入って12時に寝る。そして,朝6時に起きる。そういう一日でありました。この日,かかってきた電話は全部で12本ありました。筑波にいる間は,平均して一日に10本ぐらい電話がかかってきておりました。 
 これが,比較的平凡な1日ですね。後半10年間は,あき時間なんかがあったりすると,ほとんど参観の先生とお話するという時間でした。自分で資料を作る暇がない。資料を作ったりするのは,ほとんど家ですね。そういう生活をしてきました。たいした一日じゃございませんが。要するに,いかに平凡な日を積み重ねるかということが大切じゃないかと思います。 
 授業は布石の連続というように,我々も,学習も布石の連続だというふうに思います。ですから,一つの授業をするにも,前から考えておく。それが癖になるんですね。なぜ癖になったかというと,筑波の場合は三年計画。4年生をもったら,4,5,6と三年間。1年生をもったら,1,2,3と三年間。
 学年が上がったときは担任するクラスが違うだけですから,6年間で一つの系統をだいたい学習できるというわけなんですね。そういうシステムになっていたもんですから,常にこの次どうするか。6月に研究会があったら,来年の2月にはどんなことを目指すか。2月の研究会が終わったら,6月までに何をするか。特に,1年生なんかもちますとね,6回分の計画を私は立ててました。ですから,それを目指してやっていく。
 たったそれだけのことですが,先が見えないと積み重ねができないんじゃないかというふうに思いますね。今から七,八年くらい前ですか。ある日,私のところへ若い先生が二人突然来まして,一日授業を見ていったんですね。そこで,
「一日授業をご覧になって,いかがですか。」と感想をきいたら,
「この程度の授業でしたら,僕でもできます。」と言った。
「そうですか。先生に自信を与えられてよかった。でも,この程度の授業を一年間続けられますか。」
と言ったら,黙って帰っていきました。今でもそれを忘れられませんけれども。今までそういうことをずいぶん言われました。今,いろんな形態の授業を言ってますよね。提案する授業だの,参加する授業だの,いろいろ言ってます。僕は,みんないいと思う。それぞれの先生の考えでやってればいいことですから。ただ,私が言いたいことは,参加する授業を一年間続けられますか。提案する授業などと格好いいこと言ってるけど,その授業を一年間ずっと継続的にできますか。できるならいい。できなかったら,いくら格好いいこと言ったって,子供に力はつかないんですよね。結局,最後は,「子供を見てください。」ということを言える先生でないと,信用できないんじゃないかなあと思うわけです。だから,「継続は力なり」というふうに思うんです。
 ちょっと時間が過ぎましたが,どうも失礼いたしました。