最後に

  筆者は、有田和正の授業を一つの指針としながら授業のオープンエンド化に取り組んできた。有田学級の生き生きと追究する子どもを目指して、授業にオープンエンド化を取り入れてきた。
  その甲斐あってか、ここ数年、子どもの生き生きと活動する姿を目にするようになってきた。勿論有田の実践には及ぶものではないが、筆者なりの成長をそれなりに実感できるようになった。

 

  授業を開いて終えるとは……………… そこには何が存在するのであろうか。
  授業を「まとめる」という旧来の枠組と一体何が異なっているのであろうか。
 授業を開いて終えることによって、子どもが生き生きと活動するとは………。
 我々教師はそうすることによって子どもたちに最終的に何を求めているのであろうか。
 第6章(P.199)で次のように述べた。
 「教材が子どもを動かす」とは、子どもの教材に対する心の「開き」であり、
  「思考の往復運動の意義」とは、子どもが問い続ける自分への「開き」であり、     
 「話し合い活動の意義」とは、友と学び合うことへの「開き」である。
  つまりは、教師の目指すことは、子どもの「心を開く」ということに行き着くのではないかと考える。
  子どもが自己を解放し、心を開放すること。
 その先にあるものこそ、共に学び合うことのできる集団、学びの共同体なのではないだろうか。そこにこそ、上田薫の言う個的全体性を共に認め合う集団があり、佐伯胖の言う真実性の実感を共有し合える集団が存在する。
  授業のオープンエンド化とは、その入り口である。
 いや、入り口と成り得る授業形態である。
 ここで言う筆者の見解は、集団づくりが最終目的というのではない。
 佐藤学が言うように、
「教育の実践(授業と学習)とは、
    世界づくり(認知内容の編み直し=対象との対話)
    仲間づくり(対人関係の編み直し=他者との対話)
    自分探し (自己概念の編み直し=自己との対話)
 の3つが総合された複合的ないとなみなのである。」(P.16)
 あくまでも個に始まり個に帰結する。しかし、そのためには、学校が学びの共同体に成り得ているかが不可欠な条件と言えよう。
  第5章(P.193)で述べた様に、筆者の実践は教材の重要性、思考の往復運動の意義、話し合い活動の意義と3つの段階を踏んできた。それは、言葉をかえれば、教材の重要性が「対象との対話」、思考の往復運動の意義が「自己との対話」、話し合い活動の意義が「他者との対話」と言えないであろうか。

 

  授業のオープンエンド化は、授業を開くという形だけでなく、最終的に子どもの心を開くことに行き着く。それこそが、現代の学校に求められていることである。
 そこから、すべての教育がスタートして行くことになる。
 これが、現段階で研究をまとめた筆者の行き着いた所である。

 

  理論を中心に研究すべき大学の教授が、現場に入り同じ土俵に立って授業をする片上宗二の姿勢には頭が下がる。本論文におけるオープンエンド化の理論は、片上の理論を対極に置く形で進めてきたが、オープンエンドという土俵においては筆者と同じである。いや、その研究においては、筆者など片上の足下にも及ばない。しかし、実践者としてあえて苦言を呈する形となった。それは、授業は授業場面だけでは語れないという現場の実態を理解して欲しかったからである。勿論、そんなことは当たり前と言われるのであろうが。
 これからも片上を始めとする研究者、さらには実践者に授業のオープンエンド化について学んでいこうと思う。現場に生きる多くの教員がそうであるように、研究者と実践家が共に歩むことができるように、切に願うものである。

 

「あらゆる理論の延長上にすぐれた授業があるのではない。
  すぐれた授業の解明の中にこそ、すぐれた理論が存在するのである。」
 未熟者の言葉であるが、現場からの熱き心と受け取っていただきたい。
 現場に生きる多くの実践家の日々の努力に学びながら、拙いながらもまとめことができましたこと、多くの先生方に感謝申し上げます。

 

 本研究をまとめるにあたって山形大学教育学部助教授の滝澤利直先生には多くの示唆を与えていただきました。忙しい毎日にも関わらず多くの時間を割いて私の拙い実践記録に目を通され、温かいご助言をいただけましたこと、真に幸せに思っております。実践者の苦労に共感し、教育現場をご理解してくださる先生を慕い大学院で学ぶことを決意した頃がとても懐かしく思われます。いつも明るく学ぶ意欲を与え続けてくださった先生から学ばせていただきましたことは、私にとっては本研究に匹敵する以上のものがありました。改めて感謝申し上げます。
 二年間の研修を振り返って、研究内容を別とすれば、私が一番に学んだことは、「学ぶ楽しさ」でした。学生時代には決して味わうことのできなかった楽しさを実感することができました。この学びの楽しさは、今後の私の生き方の中に大きな財産となって存在し続けることだと思います。
 また、研修を希望した私を快く励まし大学へ送ってくださいました東根市立東根小学校の鈴木弘基校長先生には、2年次大学に通う時間を与えていただくなど、いつも大きな視野に立って支えていただきました。また、教職員の皆様には多大なご迷惑をおかけいたしましたこと、深く感謝いたしております。
  最後になりましたが、二年間の貴重な研修の機会を与えてくださいました山形県教育委員会、並びに東根市教育委員会、北村山教育事務所の関係各位にも感謝し、深くお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
                                                                2000年1月     沼澤 清一

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    オープンエンドで生き生きと追究する子を育てる
                     2000年3月31日

          山形大学大学院教育学研究科(東根市立東根小学校)

                               沼澤 清一