1990 泉田小学校 1年目
前任校の東根第一中学校でお世話になった阿部長吉校長先生を思い出して書いたものです。
感謝、感謝しかありません。
阿部校長先生のご指導を得られましたこと、本当に幸せでした。
また、私を諭してくださった当時の鈴木忠教頭先生(のちの尾花沢市教育長)には、その後もお世話になりました。
育ててくださった方々に感謝しながら今の自分を思います。
怒る とは!
自分が教師になったのは23才の時です。大学を卒業してすぐの年で、今よりもっともっと若い時でした。考え方も今よりさらに未熟な時でした。
やることなすこと全て、教師らしくないことが多かったようです。それで、いつも校長先生から怒られていました。
字の書き方、朝学校に来る時間、文書の書き方、仕事の仕方、話し方、髪型、服装、持ち物、礼儀など、本当にたくさん毎日のように怒られていました。校長先生の声は、広い職員室(大きな学校だったので、教室の3倍くらいある職員室でした。)のはじからはじまで聞こえるほどの大きな声でした。校長先生は背も高く、貫禄もあったし、本気で怒るので、怒られる時は背筋に電気が走るようでした。
職員室でたくさんの先生方の前で毎日のように怒られると、
「なぜ自分だけこんなに怒られるのだろう?」
「同じようなことをしている人もたくさんいるのに‥‥」
「頭にきたな、コノー」 「もう、どうでもいいや」
と思うこともありました。かわいそうになあと言ってくれる人もいました。
そんなことがしばらく続きました。
3年して新しい教頭先生が来ました。同じ尾花沢の人だったので車で一緒に学校に行くことが時々ありました。車のなかで、
「あれだけ本気になって教えてくれる人がいて、良かったね。」
と話してくれました。(この人は、みんなと違うことを言うな。)と思いました。そして何度か車に乗って話すうちに、“怒るとき”について教えてもらいました
「怒り方には3通りある。一つは、それは違うと正しいことを教えるとき。二つ目は、こいつを何とか一人前にしてやろうと思って、あえて怒るとき。三つめは、こいつはだめだとあきらめながら怒るとき。」
それからは、怒られても腹が立たなくなりました。逆に、何とかほめさせてみよう、怒られずにすむようにがんばってみようと思うようになりました。4年目、校長先生は退職されました。最後の送別会のとき、お酒を飲みながら、校長先生が言われました。
「沼澤、おれが怒ってきたことの意味が分かるときが、そのうち必ずくる。沼澤、よく腹を立てずに聞いてこれたな。」
最後は大きな手で力強く握手されました。右手が痛かったけど、とても晴れ晴れとした気持ちでした。
この時の校長先生に結婚式の仲人を頼みに行きました。断わられるかなとも思いました。ところが意外に返ってきたのは、
「沼澤も嫁をもらうようになったか。自分で良かったら、喜んで仲人をさせてもらう。」
という言葉でした。
うれしかった。本当にうれしかった。
もし、なぐさめてくれるような人ばっかりだったら‥‥‥
(そういう人をやさしい人と言うのかな、と思うこともありました。)
自分は今のような考え方はできなかったと思いました。
本当にやさしい人とは、本当に相手のことを考えてあげられる人とは‥‥‥たとえ自分は嫌われようとも、相手が良くなるようにしてあげられる人のことをいうのではないでしょうか。
怒られてうれしい人はいない。
怒って好かれる人は少ない。
適当にほめていたほうが楽です。
本気で怒ってくれる人を大切にして下さい。その人は、本当に自分のことを考えてくれている人です。